06 juin 2010

6月4日 le vendredi 4 juin 2010 エイズ患者支援NPO「AMO-Congo」他 ONG contre SIDA 「AMO」,etc

Le 4 juin 2010, vendredi
快晴。微風。朝方はかなり寒かった。寝相が悪くて蹴飛ばしていた毛布をひっかぶった。寒いけれど、蚊はいる。暑い昼間のうちに生まれるのだろうか。ボウフラが蛹になることは知らなかった。さらに血を吸い続ければ180日という記録もあるという。参ったんぁ。

今日は僕の誕生日。メイルで祝ってくれた諸姉諸兄、ありがとうございます。年齢をいろいろなところで一回り(同じ干支にするため)ごまかしている。酉年である。既に何回も書いたが、30代から歳はとらないことにしている。30代というのも、サガンによれば「年齢のない30代」であって、而立ではない。耳順などということは生涯ないだろう。

国際柔道連盟から、寄贈はあくまでコンゴ民主共和国柔道連盟(キンシャサ)宛てである旨のメイルを頂戴した。これで、寄贈品はルブンバシにこないだろう。無念。送り先にカタンガ州のスポーツ大臣を提案したが不可。なれば、ルブンバシのフランス領事では如何と返事したが、これも駄目だろうな。ちょっと頭が固い。国際柔道連盟の加盟団体はあくまで全コンゴ柔道連盟Fédération Nationale du Congoでルブンバシにある下部組織には直接手を出せないということだ。仕方ない。ここのスポーツ大臣はなかなか押しが強いそうだ。彼に会って、次はキンシャサと交渉してもらおう。

「AMO」の診療所を訪問した。ルブンバシ市の南のケニヤ地区にある。
ケニア地区は下町というのだろうか、庶民の町である。家々が密集している。見方によってはスラムになるだろう。スラムというと辞書では「貧民街」と書いてある。貧民は「貧しい人」。これではどうどう巡りだ。そんなことを云ったらコンゴ人はみんな貧民になってしまう。ルブンバシ市の中心には主としてベルギー人や外国人(主としてヨーロッパ人)が住んでいた。広い庭のある家ばかりである。独裁者モブツが「ザイール化 zairianisation」政策を急進化させる1974年まで多くのヨーロッパ人がコンゴにいた。この「ザイール化」で外国人を実質的に追放してしまったのである。それまでコンゴ人はケニア地区、カマロンド地区などに住んでいた。南アの「アパルトヘイト apartheid」政策は有名だが、アフリカの都市は全て、モロッコ、エジプトから南アまで「白人地区」と「黒人地区」とに分かれていた。北アフリカでは「ヨーロッパ人」と「アラブ人」といいかえてもいい。植民地時代をとってみれば、これはアフリカに限ったことではない。アジアでも、南北アメリカ大陸でもそうだった。Apartheidの意味はvivre à part(離れて生活する)というだけのことだが、それが地域、空間的住み分けにとどまらなかったのが差別としてのアパルトヘイトである。今は「金持ち地区」と「貧乏人地区」になった。
「AMO」のエイズ診療所はケニア地区のど真ん中にある。カリゲ(Lucien Kalige所長が応対してくれた。
「入院施設はない。以前入院患者を受け付けたことがあったが、どうしても長期入院になるので受入れが現在の敷地では出来ない。
1)エイズ・テスト
陰性/陽性テストを無料で行う。他の病院は国立、私立を問わず有料である。毎年18 000人から20 000人のテストを実施している(これはカタンガ州の3ヶ所の治療施設合計)。約5%が陽性である。そのうち男性が40%、女性が60%。テストのための注射器は使い捨て。2度使用することが出来ないようになっている。使用後の注射器は専門業者が回収するので、市のゴミ捨て場に他のゴミと一緒に捨てられることはない。
2)治療
陽性となったら、カードを作り病気の進行に合わせて薬を無料で配布する。
薬はPNUDに予想数字を提示して適宜送ってもらっている。
薬を与えるだけではなく、精神的相談にものっている。
3)予防宣伝活動
ケニア地区のバー、ホテルなど感染源となる場所を回り、夜間(夜21時まで)の宣伝活動をしている。学校等にもでかける。
キャンペーンにはシャツや帽子をくばる。またパンフレットだけでなく、寸劇をみせてエイズの怖さ、感染経路、予防、治療を分かり易く説明している。コンドームも配っている。
4)エイズで両親を亡くした子どもたちの支援
問題点
1)国からの援助はない。国連開発計画(PNUD、英語はUNDP)からの援助が途絶えたら活動を停止しなければならない。すでにAMOの職員も70名から半減させざるをえない状態である。これを国として考えて欲しい。
2)ルブンバシ市だけで人口300万といわれている。市の人口は膨張する一方で、エイズ・テスト数は、あまりにも限られている人数にしか実施できてない。」

エイズはひところと違って、テストの結果陽性(séropositif)であっても、薬で発症を抑えることが出来るようになった。しかし、陽性から陰性に戻ることはないから、いまのとこ生涯薬を飲み続けなければならない。特に子どもの場合これは精神的にも重い負担である。 「エイズになる奴が悪い」などとは云っていられない。子どもには、この場合本当に「罪がない」のだ。
一方、RDCは南アや隣国タンザニア、ケニア、ウガンダに比べて極めてエイズ陽性者が少ない統計になっている。都市部でのテストはともかく細々とながらもしているが、農村部では全然実施されていない。僕は落とし穴があるのではないかと考える。
AMOにはもっとがんばって欲しい。でもそのための手段を用意しなければならない。

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