03 octobre 2011

10月2日 日本人を父親とし、コンゴに置き去りにされた子供たち enfants japonais abandonnés au Congo

Le dimanche 2 octobre 2011
晴れ、7時、24℃、65%。
早朝雨が降ったようだ。水溜りがある。しかし、雨量はまだ少ない。

『日本カタンガ協会』のホームページの一部修正をした。メインおよびコンタクト・ページのメイル・アドレスである。しかし、VectorからdownloadしたHP作成プログラムが文字化けしていて、大体の見当でしか使えない。HTML表示ができたので、ページをHTML言語で直接いらうことになった。
http://katangajapon.web.fc2.com/

「日本人を父親とし、コンゴに置き去りにされた子供たち」について整理しておきたい。この子供たちが2007年協会を作ってキンシャサの日本大使館に包括的に日本人を父親とする子供として認知を訴えた。大使館は外務省に報告。外務省はカタンガ州ムソシ鉱山で仕事をしていた日本鉱業に連絡をとった。日本鉱業は、子供たちの存在を否定しなかったが、個人の問題であり、会社としては介入しないと回答した。大使館は外務省から日本鉱業の回答をきき、そのまま子供たちの代表にその旨を伝えた。
2010年春、フラ
ンスのTVメディアFrance24 が子供たちの存在を取り上げたレポートを放映した。日本が子供たちを計画的に処分(殺害)して帰国してしまったという内容で、極めてセンセイショナルであるが、俄かには信じがたい。
僕は当初この子供たちのことにあまり関心がなかった。無知な母親の身から出た錆といえないこともなかろうと思ったからである。
しかしながら、何回かフリー・ジャーナリストの方たちの取材に同行したり、子供たちの「協会」の会長ケイコ・フジモトさんにお会いしているうちに、日本人の無責任さが見えてきたのである。
先ず、当時ムソシ鉱山に来た日本人はどうやってコンゴの女性と知り合い子供をもうけることになったかである。ムソシ鉱山には日本人村(コーヨー地区)が鉱山の隣に建設されている。仕事が終わってから、仲間をつのって近くの村に飲みにでかける人たちがいた。村まで2kmくらいある。村はまだ藁葺き屋根が主流だった。そこにシンバ・ビールをのませてくれるようなバーがあった。飲みに行ったのは夜のこともあるし、夜勤を終えて一寝入りしてから昼間に出かけたときもあった。村のバーで飲んでいる日本人が珍しく、顔を見に来る村人が大勢いた。そんな見物人たちの中に若い娘たちもいた。
村人たちは、白い東洋人に警戒心がなかった。風習では、持参金をくれる相手なら誰でも所帯をもつことを認めていた。
日本人たちは、日本人村に連れて帰れないけれども、村で娘たちの家族の近くで暮らすことができるよう、現金や山羊、反物、食料品を家族に贈った。家族はこれが結婚の申し込みであると解釈、娘との同居を許した。
娘たちの年齢は、そのとき14歳、15歳であった。これは日本では犯罪である。相手の日本人は若く20、21歳の男性もいたが、多くは30代、40代の男たちである。日本でも妻帯者である。コンゴ側にとっては日本に妻がいても違和感がなかった。一夫多妻がごく一般的に見られるコンゴ社会である。
日本の男たちの中で、村役場に婚姻届をだしたり、それを日本大使館に提出したひとは皆無である。ということは、はじめから、正式の結婚をするつもりがなかったということだ。ならば、子供をつくらなければいいものを、子供ができてから困惑した日本人はするなく、多くはその事実を喜んでいた様子が伺える。
子供たちが生まれるまえに、コンゴの奥さんが妊娠中に、帰国命令が会社からでて、急遽帰国しているケースも多い。父親の顔を知らない子供たちが多く、父親と遊んだ記憶がある子供たちはレアである。この帰国のタイミングも僕はある意図が隠されているように思えてならない。
帰国時に、日本人は何がしかをコンゴの妻に置いていった。現金だったり、不動産だったりである。日本人はこれで手が切れたと思っている。
これは虫が良すぎる。コンゴの妻にたいして、子供に対して扶養義務が発生している。コンゴの母親は、字が読めず書けない。手紙のやりとりもままならない。音信不通になればそれで「旅の恥はかき捨て」ということになる。
子供たちは最年少が28歳、上は39歳までいる。「協会」のメンバーは47名から50名に増えた。「協会」に入っていないメンバーがまだいるようだ。
掲載した画像はフリーランサーのカメラマン・ジャーナリスト佐藤慧さんのものだが、先日来た岡本ひろしさん(フリー)は子供たちを母親と一緒にカメラに収めた。これはいい企画だった。
子供たちのなかには日本人の父親に合いたいという人もいる。住所や写真があれば公開することも考えている。
日本人の父親の中に、コンゴに残してきた子供に会いたい、その安否が知りたいというひとはいないのか。

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