快晴。22℃、45%。
7時から24時まで翻訳。
昨夜半水が出たようだ。今朝はちょろちょろ。
Le dimanche 9 octobre 2011
快晴。7時、23℃、45%。
7時から24時まで翻訳。
Le lundi 10 octobre 2011
晴れ。7時、24℃、45%。
7時から24時まで翻訳。
Le mardi 11 octobre 2011
曇り、7時、25℃、50%。
15時、
雷をともなう夕立のような雨。雨はいいが、停電しないでくれ。翻訳作業中なんだから。
23時、携帯電話、ネットともに不通。Vodacomのみ。Airtelは通じていた。
サント・ベルナデット病院の眼科とのアポイントは電話して来週に延ばした。
Le mercredi 12 octobre 2011
晴れ、7時、23℃、60%。
大家のアガータさんが家に来た。目つきの悪い友人と称するおば様と一緒。昨日、上カタンガHaut Katanga県(キプシは県庁所在地)の住宅局から所有権者に呼び出し状が家に来たのだ。どうせ金のことあろうが、直ぐにアガータさんに電話した。旦那さんが丁度キプシにいて、呼び出し状を受け取りに家に来た。旦那さんに合ったのは初めて。15時ころでにわか雨が振っていた。
アガータさん、わりと遠慮がない。コーラでもと一応きいたら、「シンバ(ビール)ないの」。生憎いえにはシンバがない。「プリムスしかありませんが」、「そう、それでいいわ」。なにもつまみを出さなかったら、「なにかないの、オイル・サージンでもなんでもいいのよ」。
7時から24時まで日仏翻訳。大家の相手で30分ロス。
晴れ、7時、23℃、60%。
大家のアガータさんが家に来た。目つきの悪い友人と称するおば様と一緒。昨日、上カタンガHaut Katanga県(キプシは県庁所在地)の住宅局から所有権者に呼び出し状が家に来たのだ。どうせ金のことあろうが、直ぐにアガータさんに電話した。旦那さんが丁度キプシにいて、呼び出し状を受け取りに家に来た。旦那さんに合ったのは初めて。15時ころでにわか雨が振っていた。
アガータさん、わりと遠慮がない。コーラでもと一応きいたら、「シンバ(ビール)ないの」。生憎いえにはシンバがない。「プリムスしかありませんが」、「そう、それでいいわ」。なにもつまみを出さなかったら、「なにかないの、オイル・サージンでもなんでもいいのよ」。
7時から24時まで日仏翻訳。大家の相手で30分ロス。
Le jeudi 13 octobre 2011
快晴。7時、24℃、57,5%。
昨日の夕焼けはみごとだった。夕焼けの翌日は晴れが多い。これは世界中どこでも同じなのだろうか。
今週はルブンバシに出られない。そこで、キプシの「ビッキー」で買い物。蚊取り線香がたりなくなりそうだったのででかけたのだ。一箱だけ置いてあった。探し回る面倒は避けられた。家でみると黒い蚊取り線香。中国製。点火してみると匂いは緑の蚊取り線香と変わらない。蚊取り線香や蚊帳が緑だというのは先入観なのだろう。
木曜日とて10時から断水。24時になっても回復せず。
7時から24時まで日仏翻訳。
Le vendredi 14 octobre 2011
快晴。7時、24℃、60%。
朝6時半に水を確かめたが、断水継続。15時、水が出始めた。水の有難さを毎回知る。
7時から24時まで日仏翻訳。最後のページから遡って翻訳することにした。終わりの方は短文が多いので仕事が捗った気がする。こうでもしないと先が見えず、仕事を途中で投げ出したくなってしまう。
Le samedi 15 octobre 2011
晴れ、7時、26℃、50%。
7時から24時まで日仏翻訳。まだまだ量がある。果たして全て訳しきれるかどうか不安になった、
快晴。7時、26℃、52.5%。
右手の親指と人差し指の股がいたい。昔は中指にタコができていた。鉛筆を握って書いていたからだ。今はPC時代。
23時半ネット不通。30分で回復。
7時から24時まで日仏翻訳。24時過ぎに就寝するころは、足元がふらついた。
23時半ネット不通。30分で回復。
7時から24時まで日仏翻訳。24時過ぎに就寝するころは、足元がふらついた。
Le lundi 17 octobre 2011
快晴。7時、26℃、45%。
14時、30度、30%。体感温度は30度でも暑くない。湿度が低い所為だ。
Le mardi 18 octobre 2011
快晴、7時、26℃、52,5%。
今月10月初めに雨が降り、雨季に入ったと誤解した。あの雨は、マンゴー雨というのだとシスタ・アスンタ・佐野さんから教えていただいた。マンゴーの花が咲き、実をつけ始めるころに降る雨で、まだまだ本格的雨季はやhり11月末にならないと始まらない。そして8月に比べて、僕のブログの記録でもそうだが、一日の気温が上昇する。
サント・ベルナデットSainte Bernadette病院の眼科に行った。10時のアポイント。経営は「アフリカ伝道師教会Missionnaires d’Afrique」である。病院のあるのはカニア地区に隣接するカトゥーバKatuba地区。下町である。ここの眼科はさる篤志家の遺志により建てられたときく。建物も機器もまだ新しい。最新の設備だ。そこで右目の不調を診断してもらった。ソクラテス先生。結果は僕の予想通り白内障であった。年齢のなせる業。しかし、まだ十分に「熟して」いないので、手術は6ヵ月後か12ヶ月後に改めて診断してから決めようということになった。白内障の手術は短時間で済む。この病院で手術してもいいし、日本に帰国して他の病気(虫歯、前立腺肥大)と合わせて手術してもよさそうだ。
聖女ベルナデットは19世紀の修道女。フランス人。彼女を有名にしたのは、ルールドLourdesで聖母マリアの出現に出会ったため。ルールド巡礼は欧州カトリック信者の間では人気の高い巡礼である。僕も2度ルールド参りをしている。スイスから特別列車が仕立てられているが、僕は車で訪れている。
聖女ベルナデット病院は「アフリカ伝道教会」が経営している。「アフリカ伝道教会」は修道会ではなさそうだが、ローマ法王庁直轄の団体である。創立は19世紀のアルジェリアに赴任したフランス人司教シャルル・ラビジュリCharles Lavigerieである。サハラ以南のアフリカの人々に伝道すべく有志を派遣した。しかし、当初はイスラム教徒に殺害されるなど非常な困難を伴った。「白人神父さんたち Pères blancs」と呼ばれてアフリカ黒人社会で親しまれるのはすっと後のことである。今では2000名ちかくの神父がアフリカ各国で活躍している。
今月8日から今日までの日仏翻訳は、東京のエイジェントさんからいただいた仕事である。本来なら、数人以上の翻訳者に分けて翻訳し、最後にスーパヴァイズするひとが訳を統一するような仕事である。3万字を超えていた。研修所の先生たち用のマニュアルである。それを欲張って一人で翻訳させてくださいと頼んでしまった。この仕事の間、停電がなく、またネットも順調に繋がってくれていたのは幸いだった。フランス語の表現によってはGoogleのフランス語版で検索して、表現の妥当性をチェックしないと安心できないからだ。
夜になって腹痛。尾籠な話だが、便がホウレン草のように緑色だった。これにはショックをうけた。早速ネットで原因を調べた。肝臓なら、便は灰色だし、尿は濃い紅茶色だということは経験して知っているが緑とは
。
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