06 septembre 2012

9月5日 エリトリア、ジャーナリストたちが獄死 Trois journalistes meurent en prison en Erythrée


Le mercredi 5 septembre 2012
快晴。6時、23℃、35^

8時、ネット不通。19時半、回復。

先週末、日本の企業がカタンダ州第3の都市、コルウェジで露天掘りができる鉱山をジェカミン(国営鉱山会社)の案内で訪問しているらしい。知事モイーズがいうようにカタンガ州は門戸を世界に開放している。日本の大手企業が参入することを僕は切に望んでいる。僕のところに連絡いただければそのための協力を惜しまないつもりである。

エリトリアというと、世界一周船の旅を企画しているNPO「ピースボート」を思い出す。興味があって高田馬場にあるそのNPOに通ったことがある。最終的にはある種の偏見を見出して僕はそのNPOから離れた。パレスチニア問題では一方的にアラブの味方をするし、エリトリアについては、現独裁政権の肩をもつ。僕にとってパレスチニア問題はそう単純ではない。70年代以降のレバノンの平和を乱したのはパレスチナ人のテロとヒスボラが原因だと思うし、エリトリアが自由な国とはとても思えない。それにこのNPO、アジルことが好きで、僕の性にあわなかった。
エリトリアはスーダン、エチオピア、ジブチに囲まれ、紅海に面した小さな国である。1991年エチオピアから独立した。1941年までイタリアの植民地。

エリトリア(Erythrée)
エリトリアのジャーナリストが獄死。10年以上にわたって獄中にあったエリトリア人ジャーナリスト3名が死亡したことがRSF(国境なき記者団)によって確認された。4人目の犠牲者がいるらしいが、確認がとれていない。勿論この国の刑務所に裁判もなしにつながれている作家、ジャーナリスト、知識人たちはまだまだたくさんいる。言論の自由が全くない国エリトリアである。2001年には民間の新聞、放送が現在もなお20年以上も続いているイサイアス・アフェウェルキ政権によって禁止された。政権党はFJD(正義と民主主義のための戦線)である。こうした「正義」とか「民主主義」とかいった言葉を冠した政党や国に碌なところはない。エリトリアの経済は混合経済とみられないこともないが、要は計画経済体制である。しかし、海外に移民したエリトリア人からの送金と外国からの援助で成り立っている国である。
僕のいるコンゴもコンゴ「民主」共和国である。「民主」をとってしまうと、北の隣国コンゴ共和国(首都ブラザビル)と区別がつかない。2016年までにコンゴ民主共和国がコンゴ連邦共和国になれば「民主」という文字が消える。そのころにはまともな国になって欲しい。

Trois journalistes meurent en prison en Erythrée, affirme RSF

Trois journalistes érythréens incarcérés depuis plus de dix ans sont morts dans leur pays, considéré comme le pire au monde en matière de liberté d'expression, a affirmé jeudi le groupe de défense des médias Reporters sans frontières (RSF).

La mort de Dawit Habtemichael, Mattewos Habteab et Wedi Itay a été divulguée par un gardien de prison qui a depuis fui le pays, a précisé RSF.

En Erythrée, "pire (pays) au monde pour la liberté de la presse et la plus grande prison d'Afrique pour les professionnels des médias, des journalistes ont été jetés en prison, certains depuis plus de dix ans, simplement pour avoir osé s'exprimer," a dénoncé RSF dans un communiqué. "Un par un, ils disparaissent."

Le groupe de défense des médias considère que l'établissement où sont morts les trois journalistes, Eiraeiro, situé au nord-est de la capitale Asmara, "n'est pas une prison, c'est un camp de la mort".

Les trois journalistes avaient tous été arrêtés en 2001, dans le cadre d'une purge lancée par le dirigeant Issaias Afeworki et qui avait vu la fermeture des médias indépendants.

Un quatrième journaliste érythréen, dont l'identité ne pouvait pas être confirmée à ce stade, pourrait encore être mort en prison, a ajouté RSF.

Les autorités érythréennes étaient injoignables pour commenter ces accusations.

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