13 novembre 2013

11月13日 中国人女性がマリ国会選挙に立候補 Mali: la candidate chinoise

Le mercredi 13 novembre 2013
6時、晴れ、27℃、60%。

10時、ネット不通。毎日何処かで不通になる。何時に始まって何時に終わるか分からない。だからホームページ更新に一日かかってしまうこともあるし、翌日に持ち越しのこともある。僕がいつも怠けている所為ではない。
12時、ネット回復。

ネットが通じないからDVDで映画『コウノトリの歌』(2001年、Song of the Stork、フランス語は「歌」ではなく「ダンス」になっている。La danse de la cigogne)を観た。全く思い出さないので新鮮な気持ちで観賞した。ベトナム人によるベトナム戦争の映画。この戦争のアメリカ映画は数多ある。ベトナム人が作成した「ベトナム戦争映画」に触れたのはこれが初めてであった。
僕の世代の前後はベトナム戦争世代である。大学生のときは反戦デモに何回も参加した。僕の学校の学生運動の中心は日本共産党系の「民青」だった。僕は共産党が嫌いだった。日本帝国の軍隊のようだからだ。全体主義は肌に合わない。そこで「ノンポリ」を気取っていた。小田実の「べ平連」のデモには上京して参加した。
しかし、僕にはベトナムも戦争も実際には分かっていなかったろう。
初めてベトナム人と接したのはアルジェのレストラン『サイゴン』のオーナだろう。彼女のアルジェとパリの家に何回が招待された。その後は80年代になってジュネーヴに住んだときの仕事仲間および客にベトナム人がいた。しかし、彼らとベトナム戦争について話をしたことはない。
アメリカ人はベトナム戦争で58000人が戦死し、ベトナム人は500万人が殺された。あの戦争は何だったのか。ハノイの後ろにはソ連と共産中国がいた。ベトナムはドイモイ政策を推進して頑なな社会主義を放棄した。僕が初めてサイゴンに行ったのは2008年だったと思う。バンコクに行くまえにサイゴンに寄ったのだ。勿論平和なサイゴンで、大通りを埋めたバイクの排気ガスにめげず僕もバイク・タクシによく乗った。戦争博物館にも入った。戦争は既に33年も昔のことになっていた。
あの戦争はなんだったのか。分からない。死んだ人たち馬鹿をみた。そう僕は思う。まさにシジフォスのように繰返し繰返される戦争の馬鹿らしさabsurdité、それが人間の営みだとしかいいようがない。
映画はハノイの新路線を肯定する米国との宥和宣伝映画である。500万の命を失わせしめた戦争が単なる祖国防衛だったとは僕には思えない。誰も責任をとらない。ワシントンもハノイも。

バッテリーを切るのをまたわすれていて、昨日ンバングさんを呼んでまたまた助けてもらった。今回は前回のお礼のうちということでお金はださなかった。でも馬鹿だなぁ、僕は。ミンブルまで野菜を買いに行ってバッテリーをチャージした。往復25km。チャージャーはいかれていなかったようだ。今朝エンジンがかかったときは本当にほっとした。

今朝花壇に7輪のアサガオが咲いていた。これまでの最高は5輪だった。アサガオの花は午前中しかもたない。まこと命短い花だ。

KTBでモルタデルラ(イタリア・ソーセージを買った。体裁は悪くない。包装に「Bologna Sausage」と書かれている。さらにmortadelaともmortadellaとも書いてある。前者はスペイン語、後者はイタリア語。生産地を見たらブラジル。1kg3200フラン(320円)でモルタデルラが買えるわけがないから、かなりインチキな代物だろう。マドンナちゃんの食事になってしまうかな。

南米のコロンビアにRDC政府の関係者が出張した。コロンビアが反政府軍の武装解除および社会復帰に成功しているときいてそのやり方を調査するためだという。コロンビアは麻薬を資金源としてテロ集団が暴れていた。RDCコンゴでは反政府軍が金やレアメタルなどの鉱物資源を資金源にしている。コロンビア政府や米国がしかしテロ集団FARCと対策にそんなに成功しているとは僕は認識していない。RDC政府に誰が知恵をtけたか知らないが僕には「物見遊山」の出張にみえる。コロンビアの場合は近年の高い経済成長と国民所得の向上が自然とFARC同調者を減少させたのではないか。
RDCコンゴも腐敗政治から脱却、軍人や公務員、教員の生活改善、海外からの直接投資の飛躍的増大、雇用創設をすれば当然東部の戦争はなくなる。外国(ルワンダ、ウガンダ)による干渉は「隙」があるからだ。その隙が人々の「貧困」である。象徴的な意味ではなく、具体的に人々が暮らせないという意味である。

エジプトで非常事態令が解除された。夜間外出禁止などが自由になった。モルシを追放した軍部の自信の表れだろう。

マリでは今月24日(日)国会議員選挙がある。その選挙にセグ市(マリーズ・コンデの歴史長編小説『セグ』に出てくるあのセグ市)から中国人女性が立候補する。彼女は30年前にマリ人と結婚しマリ国籍を取得した54歳。ユ・ホン・ウェイさんことアスタン・クリバリさん。職業は薬剤師。医療関係で仕事に従事している。
当選するかどうかはかなり難しい。現職2人および先の大統領選で3位がった候補たちと議席を争わなければならない。
しかし、なかなか勇気ある行動だと僕は思う。現地社会とあまり親しまない多くの中国人たちと比べると異色のクリバリさんと思う。頑張って当選されることを期待する。
 
Yu Hong Wei ことAstan Coulibalyさん
混血ではなく純粋の中国人
アジア人初のアフリカの国会議員になれるか
Mali: la candidate chinoise
Le 12 novembre 2013

Une Chinoise naturalisée malienne, Yu Hong Wei dite Astan Coulibaly, est candidate aux élections législatives du 24 novembre au Mali.
De mémoire de Maliens, elle est la première personne originaire d'Asie et non métissée à participer à un scrutin au Mali.
A 54 ans, elle a déjà passé plus de 30 ans de sa vie au Mali.
Elle a obtenu la nationalité malienne après son mariage à un Malien au début des années 80.
Astan Coulibaly, candidate indépendante, est en lice avec six autres candidats pour une alliance de trois partis (Modec, CAP et Sadi) dans la circonscription électorale de Ségou, baptisée liste "Ségou Kanou".
Une femme sociable et très ouverte, selon ceux qui l’ont connue, Astan Coulibaly a choisi Ségou, à 230km au nord de Bamako, car c’est là qu’elle vit.
Elle tient beaucoup à la région, selon une source au sein de son alliance.
Si on ne connaît pas encore l’orientation de son message de campagne, on pourrait penser qu’elle tentera de séduire l'électorat par ce qu’elle et ce qu’elle sait faire.
Astan Coulibaly est pharmacienne et travaille dans le domaine de la santé.
Elle est créditée d’actions notamment en faveur des démunis: consultations médicales, traitement, appui à l’insertion socio-professionnelle des jeunes.
Les obstacles à son élection à l’Assemblée nationale ne manquent pas.

Elle et ses co-listiers devront affronter six autres listes, dont notamment une constituée de deux députés sortants et de Dramane Dambélé, arrivé troisième à l’élection présidentielle de juillet.

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