Le 23 mai 2010, dimanche
快晴。微風。
安息日である。コンゴでは日曜日である。最近話題にのせたアドヴェンチストでは土曜日。イスラムでは金曜日。しかしいずれも7日周期になっている。sabatは、たとえばスペイン語のsabado、イタリア語のsabatoとしてヘブライ語起源だろうが、言葉が残っている。土曜日だ。なら、何故日曜日が安息日なのか。調べれば薀蓄を傾けることができるだろうが、ともかく何にもしない、休息のひである。
昨日16時過ぎ、水がちょろちょろと出た。前々日の勢いはない。今朝もそうだ。出るだけいいじゃないかと云われればその通り。
新藤兼人『裸の島』を思い出した。電気も水もない瀬戸内海の小島で暮らす夫婦の物語だ。1960年の作品だけれども無声映画。この映画では夫婦に子どもが二人しかいない。コンゴには電気がなく水がないところなど、都会ルブンバシの外に出ればいくらでもあるが、子どもたちが何と多いことか。日本でも「貧乏人の子沢山」と昔は言ったようだ。どこからか、川や他家の井戸から水を汲んでくるのは子どもの仕事である。映画では子どもたちが小学校に通っている。彼我の差を感じさせられる。
本はひとつ読み出すと癖になる。昨日は露伴の随筆『骨董』、今日は『風流仏』と読んでしまった。『五重塔』は何回か既に読んでいる。露伴の文章は、歯切れがよくリズミカルで、和漢の教養が滲み出ていて安心して読める。日本で自然主義と呼ばれる作家たちの作品は、時代の証言としては面白いかもしれないが、あれは小説ではない。戦後の作家たちと同じで世界が狭く読むに耐えない。勿論例外はある。しかし、大概は鴎外などと比すべくもない。僕の考える作家とは荷風までで、後は時間の無駄である。
『風流仏』は面白かった。ま、恋物語である。若い仏師の話だが、予測はつくとしても綺麗に読ませる。物語として日本だけではなく世界に通用する。
コンゴの作家はどうか。僕は数作品しか読んだことがない。これから読みすすんでいきたいが、いまのところ感動するような作に会っていない。知らないだけかもしれない。
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