Le mercredi 4 juillet
2012
快晴。7時、20℃、55%。
マドンナ用のビスケットがなくなった。ルブンバシでの買い物の予定は金曜日だ。致し方ないのでチーコちゃんとマーゴちゃん用のビスケットを試しにマドンナに上げてみた。犬と猫でそんなに違うこともあるまいと思ったからだ。マドンナは何の疑いもなくぺろりと食べてしまった。OK。
アリコharidotというけれど、あれは小豆だな。煮ているとなんとなくそんな匂いがしてきた。漉しあんは道具がないからできないので、粒あんを作ってみよう。上手くできたらシスタ・アスンタさんのところにも持っていこう。作ったことがないものを作るのだから、結果はまだまだわからない。ネットでみると、小豆は灰汁が強いので「茹でこぼし」をするのだという。なるほど、これがノウハウだな。本みりんを加えることになっているけれど、そんなものはないから白ワインと蜂蜜と砂糖でごまかそう。
ベンベラ初代大統領(アルジェリア) |
アルジェリアはフランスの海外県だった。130年間にわたるフランスの支配から1962年に独立した。独立戦争は1954年から始まった独立戦争は熾烈だった。しかし、この国もそうだが、多大の犠牲を払って独立したものの、一体独立とは何だったのか、一般国民にとっては植民地時代よりも苦難の生活、暗い毎日が待っていたのである。
アルジェの空港はブーメディエンヌ空港になっているが、ベン・ベラの名は、アルジェリア第二の都市オランの空港に冠された。
アルジェリアの独立記念日は明日7月5日である。僕はその国に通算12年半生活した。
これは酷い。
Googleでかけているアラートに引っかかったサイトで紹介されていたRDCコンゴの記事である。
僕のコメントはunquote後につけた。
Quote
コンゴ共和国の独立記念日
今は、コンゴ民主共和国(旧ベルギー植民地)とコンゴ共和国(旧フランス植民地)の2つの国にわかれています。
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unquote
先ずコンゴ共和国とコンゴ民主共和国の区別ができていない。コンゴ共和国(首都ブラザビル)はフランスの植民地だった国であり、コンゴ民主共和国(首都キンシャサ)はベルギーが宗主国だった。コンゴ民主共和国の独立記念日は6月30日だが、コンゴ共和国の方は8月15日である。独立後の内戦で国が二つに分かれたのではない。
地下資源が豊富なのは周知のとおりだが、内戦は資源を巡っての「部族間の争い」というよりも、当初は東西冷戦の代理戦争の色が濃く、ソ連崩壊以降は隣国ルワンダ、ブルンディ、ウガンダの侵略と国内の政治不安定による反政府武装強盗集団による盗掘と戦闘の繰り返しといえる。
日本はRDCコンゴからウランを買っていない。日本に落とされた米国の原爆のウランがカタンガ州から産出されたウランである(シンコロブエ鉱山)。長くウラン鉱山は閉鎖されたままである。フランスのAreva社が採掘権を得たようだが鉱山は再開されていない。
現在日本はRDCコンゴから残念ながら直接鉱物資源を輸入していない。中国がコンゴから輸入した鉱物資源(銅、コバルト、レアメタル等)を、日本は中国から輸入しいるのが現状だ。
引用した記事はアフリカを売りにしている横浜のバーの方が書いた宣伝のようであるが、いかにもいい加減な代物である。これが日本の普通の人、一般のひとが抱くコンゴのイメージなのだろうか。いや、アフリカを売りにしているなら、「専門家」のはずだがなぁ。
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