Le mercredi 13 avril 2011
ジョブール(南ア)。快晴。
朝の便でハボローネ(ボツワナ国首都)にシフト。
ホテルに忘れ物がないように気をつけたが、洗面所を見落として、結局洗面道具を忘れてきてしまった。ハボローネからホテルに電話を試みたが、ローミングがきいていない。ヨハネスブルグでは、AirtelもVodacomもローミングがきいていて携帯がつかえた。ま、明日の午後に同じホテルに泊まることにして、保管しておいてくれることを期待しよう。
飛行機は昨日と同じSA Express。この航空会社は国内線とコンゴ、ボツワナ、ナミビア等近隣諸国への路線をサーヴィスしている。ヨハネスブルグとルブンバシは一日1便しかないが、ハボローネとは一日4便以上あるようだ。
ヨハネスブルグ空港で日本から見えられる方々と合流した。彼らは香港経由の機内泊。お疲れだと思う。強行軍である。去年11月、ルサカでSADC会合のときに仕事を戴いたお客様である。
ハボローネ空港は建設中だが、半分は完成している。「中国水電」社が請負っている。中国パワーはこの国でも発揮されていて、総人口200万人の国で2万人以上の中国人がいるそうだ。中国人は定着型だから、日本人の出張型とは違う意識だ。居住する国にたいする貢献も自ずから違ってくる。
午後のアポイントの前に大使公邸に寄った。余り広くはない。大使は、前回書いたが、商社出身の松山氏。極めて適切かつ実質的なアドヴァイスを日本のミッションの方々にされていた。勝者出だから当たり前だが、商売のコツを知っているし、相手の手の内をよく読んでいる。どこかの大使とは大違いか。行く先々でボツワナ政府の要人から大使のいい評判を聞いた。いわく、松山大使のおかげで、日本とボツワナの関係が急激に改善・前進したというのである。ボツワナは経済水準がアフリカの中では高く、日本から無償援助が出ていない。従って、ODAお土産外交ではなく、実質的外交を松山氏がされていらっしゃる証左である。(画像は大使公邸玄関。日本大使公邸としては慎ましい。ボツワナの要人を集めてレセプションができるほどの規模はないかもしれない)。
昼食は街中のポルトガル料理の店だった。大使館のOさんの案内。南ポルトガルの名物料理「カタプラナ」もメニューにでていたから、本格的ポルトガル料理を出す可能性がある。ちょっとスパイスの効いたトリを注文した。
ハボローネは道がよく、上下水道等のインフラも上等だ。蚊がいない。停電もない。しかし、国土の大部分は砂漠(カラハリ砂漠)だ。ダイヤモンドと良質なガヴァナンスのおかげで所得水準もたかくODA(日本国政府無償援助)の対象国ともなっていない。問題はエイズと失業。企業誘致をしていかないと立国できないだろう。自動車部品、エレクトロニクスなどの中小規模かつハイテク産業がボツワナにはふさわしそうだ。
大統領府でミーティング。セキュリティー・チェックもほどほどで、この国が軍事独裁などとは程遠い、安定性の高いことが肌で感じられる。
ホテルはファルコン・クレスト。日本からの主張者の方と同じホテルが満室でとれなかったということだが、案内された部屋をみてびっくり。ヨハネスブルグのホテルの部屋の4倍はありそう。バスはジャクッジ付きだった。ヨハネスブルグより北にハボローネが位置している所為か暖房は必要なかった。ネット環境は抜群。
ホテルの周りを散歩していて、中華料理の店をみつけた。ガソリン・スタンドとスーパーやクラブ(ディスコ)などがある小規模なショッピングセンタに「中国飯店」というのがあったのだ。18時半から22時まで営業。
ホテルの部屋に戻り、一風呂浴びたら、近いとはいえ大きな交差点を渡らなければならないのが面倒になり、ホテルのレストランで食事をとることにした。バイキング。サラダとBBQ、デザート。初めは地元のビール「St Louis」(セント・ルイスだが、フランス語読みすれば、サン・ルイ、セネガルの昔の首都も同じ名前だ)、そのあとグラスで赤を飲んだ。
ボツワナにサファリに来るのは、南ア同様悪くない選択だろう。RDCコンゴのジャングルやサバンナはもっと動物に恵まれているにちがいないが、インフラがないから、サファリどころではない。
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