Le vendredi 10 août
2012
曇り。7時、18℃、60%。三日目の曇り空で温度が下がった。憂鬱な曇り。9時、晴れ間が少し出てきた。これが広がればいいのだが。10時半、青空が90%になった。
昨日の断水は19時45分まで続いた。
ナイジェリアの首都はラゴスではない。1991年、ナイジェリアの中央部のアブジャAbujaに遷都した。ナイジェリアも連邦制をとっている。ここでヒラリ・クリントンはナイジェリアの大統領グッドラック・ジョナサンと昨日会談した。米国の目的は何か。米国の輸入している8%の原油はナイジェリアから来る。ナイジェリアは重要な原油供給国だ。ナイジェリア及びその周辺国の安定平和は米国の利益である。現在ナイジェリア北部でイスラム勢力がテロを繰返しているが、これが南部に波及することは極めて米国の利益を損なう。だからイスラム集団ボコ・ハラムBoko Haramは危険なテロリストである。これはジョナサン大統領にとっても同じことで、ナイジェリアと米国の利害が一致する。
ナイジェリアの後、ヒラリ・クリントンはガーナの首都アクラに飛んだ。先月亡くなったジョン・アタ=ミルス大統領の国葬に参列のためだ。ナイジェリアの大統領もアクラに来たが、ヒラリは米国務省の飛行機でナイジェリアの国家元首を乗せて飛ぶようなことはばなかったろう。アクラにはフランスからはベンギギ在外フランス人担当大臣が出席。CEDEAO(西アフリカ諸国経済共同体)15カ国全部の大統領が来たという。セネガルはアフリカにおける民主主義のモデル国だがガーナも民主的といえる国である。
残酷な画像に違いない。 しかし、フランスではギロチンが 戦後も暫く公開されていた。 見物人がいつもいたのである。 フランス国歌は血腥くて歌えない といフランス人も知っているが。 |
マリ共和国の北部はイスラミスト(マグレブ・アルカイダ)に軍事占領されている。イスラム法chariaを住民に強制しようとする勢力だ。既に投石による死刑を執行した。8日(水)には公開刑で窃盗犯の手を切断amputationしたそうだ。サウジアラビアなども泥棒の手を切る。こうした刑の執行は見せしめの意味が強い。しかし効果の程は残酷な刑のわりにないのが現実であろう。
イスラム諸国で仕事をしたことがある人はよく知っているが、これらの国で窃盗被害にあうことが極めて多い。日常茶飯事である。なぜか。見つからなければいい、という考えが徹底しているからである。また金持ちは貧乏人に恵んで当然だ、金持ちから盗んで何が悪いと行動を肯定する。つまり裏返せば、窃盗や姦淫が夥しく存在するということだ。嘘をつくことが日常化しており、嘘をついて顔を赤らめるひともいない。それがイスラムの文化になってしまった。特にイランのホメイニ以降、イスラムが寛容さを失った宗教になった。僕がモロッコなどで知っていたイスラムはカトリックとも共存できる柔軟さ、寛容さを持っていた。嘘をつかなければ極刑を覚悟せねばならない。嘘をついているという意識も彼らにはないだろう。身を守るための虚構の構築であって嘘を罪péché(犯罪ではなく、神にたいする罪)とも思わなくなってしまった。
ディルマ・ルセフDilma Rousseff氏 ブラジル大統領 |
ブラジルがGNPで英国を抜いて世界第6位に躍り出たそうだ。そのブラジル、嘗てのアフリカの宗主国英国やフランスまたポルトガルに代わってアフリカに攻勢をかけている。ブラジルは米国よりもアフリカ系住民が多い国である。アフリカとの貿易額はこの10年で43億ドルから276億ドルと5倍以上伸びた。
ブラジルが市場を必要としているのは確かであると僕は思う。アフリカを植民地化したことがないという意味で中国同様ブラジルはアフリカに入り易いだろう。アフリカ側にそれだけブラジルに対して警戒心がないといえる。中国人のようにアフリカ各地で目立つ動きをしているようには感じられない。言葉ではモザンビークや景気のいいアンゴラでの受けがいいだろう。しかし、アフリカに愛想をふるまっても、ルラ・ダ・シルバやディルマ・ルセフにしても欧州の白人系の子である。アフリカとの縁はない。カーニバルで活躍するのはアフリカ系(黒人やメティス)かもしれないが、政治や経済を握っているのは白人系ではないのか。アフリカからの移民を積極的に受け入れているのだろうか。アフリカとの協調はこれからも簡単だとは思われない。
しかし、とこかくブラジルは日本よりも積極的にDRCコンゴにも多角的に進出してきていることは確かだ。日本のようにカタンガ州をODA対象から外すような誤解にみちた政策をとるようなことはしていない。
下記はもとがNew York Timesなので英文の記事がある。
L'Afrique, la nouvelle
frontière brésilienne
Slate Afrique
Depuis la fin de la
décolonisation, les grandes puissances de ce monde se disputent l’amitié des
pays africains: l’Europe, la Chine, les Etats-Unis, tous veulent leur «part du
gâteau».
Le Brésil, poids lourd
du continent sud-américain et récemment devenu sixième économie mondiale devant
le Royaume-Uni, n’a pas oublié ses liens étroits tissés avec le continent noir
durant la période de l’esclavage.
Le site du New-York
Times a ainsi rapporté cette allusion à une «dette historique» prononcée à
plusieurs reprises par l’ancien président brésilien Luis Inácio Lula da Silva,
lors de ses voyages officiels en Afrique de 2003 à 2010. Et pour cause:
«Le Brésil, qui abrite
la communauté de descendants d’Africains la plus importante au monde en-dehors
de l’Afrique, est assurément en train de renforcer son influence sur le
continent, construisant des liens forts et historiques qui n’ont de comparable
que ceux de l’ancien empire portugais.»
Et depuis quelques
années, les relations entretenus entre l’Afrique et le Brésil, plus
généralement l’Amérique du Sud, ne cessent de se renforcer.
Une collaboration
grandissante qui se retrouve dans des projets économiques, sanitaires, ou même
universitaires. A titre d’exemple, de 2002 à 2011, la valeur totale des flux
commerciaux circulant entre l’Afrique et le Brésil est passée de 4,3 milliards
de dollars (3,5 milliards d'euros) à 27,6 milliards de dollars (22,3 milliards
d'euros).
Un rapprochement qui
n’en est qu’à ses débuts, d’après Jerry Dávila, historien à l’université de
l’Illinois:
«Le sentiment que
l’Afrique est en réalité une frontière brésilienne est de plus en plus admis.
Et le Brésil est dans une position privilégiée pour concrétiser ce sentiment.»
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