05 juillet 2010

7月1日 le jeudi 1er juillet 2010 モエロ湖紀行(4日目最終日) voyage au lac Moero (4ème et dernier jour)

Le 1er juillet 2010, jeudi
快晴。

キルワのマーケットで庭師アンドレに頼まれたトウモロコシを一袋(50㎏)購入。ルブンバシより30%ほど安いのだという。10000FC(1000円)。9時半にキルワの街を出発。朝早くでたかったが託送荷物が多く手間取った。今日は途中でカタンガ州知事モイーズの生地カショブエKashobweに寄る予定。カソメノ・キルワ街道は悪路でも国道だそうだ。カショブエは国道の村ムクパで左折する。キルワから約100キロ。ムクパからカショブエに通じる道は舗装こそされていないが整備されていた。平坦な道で湖沼地帯や草原を走る。キルワから90分で到着。ザンビアから流れてきてモエロ湖に注ぐ川の河口にカショブエ村がある。清流である。川向こうの平原が既にザンビア。小さな村だがソーラー・バッテリーの街灯が設置されていた。ヨット・ハーバーーもあるツーリスト村が建設中、一部完成。中に入ろうとしたら警察官に差し止められた。しかし、キプシで旧知のクンダ大尉の名前を出したら警察署長が一緒に来て中にいれてくれた。カショブエは大尉の管轄地でもある。ほぼヨーロッパ並の施設といえる。ヨット・ハーバーにはモイーズ知事とその兄のクルーザーが浮かんでいた。ヤマハの水上スクーターも10台。ドバイから輸入されたばかりのようだ。プール、テニス・コート、乗馬施設、ラジオTV局もあった。携帯も通じる。村人の生活とは懸離れた別天地といえよう。飛行場も近くにある。この日も知事が週末の休暇にくるというので急いでくれといわれた。

11時カショブエを出発、30分で分れ道のムクパ村に着いた。これからしばらく行くと100キロの悪路だ。14時に一度だけ躓いた。砂の中に埋まってしまったのだ。それでも、自転車で通りがかりの青年たちとJP君が頑張って30分で再出発出来た。街道で車が立ち往生していると大抵何処からか人が来て助けてくれる。が、只ではない。一人500フラン(50円)程度で満足してくれる。アスンタさんによれば昔はロハだったそうだ。世知辛くなったのだろう。今日は対向車としてトラックが3台来た。
この悪路をレース・コースとして残して、新たに舗装道路を作ったら面白いだろう。観光資源になる。ヨーロッパや日本ならこんな長い悪路は珍しいだろうから好んで来るかも知れない。でも、事故続出だ。4駆をカソメノに置いてレンタルする。オートバイもいい。モエロ湖まで走ったときの感激は大きいと思う。パリ・ダカールは沙漠の中だがここは森の中を走る。
しかし、本音を云えば、やはりこの道路状態は許せない。昔は国を待つことなく、村々が責任をもって修理保全をしていたそうである。それを何故しなくなったのか。ソニー・ラブ・タンシ『Etat honteux恥ずかしい国』を思い出す。まさにこの道路は恥辱である。

カソメノに18時に到着。

20時半、アスンタさんの修道院に着いた。キプシに帰宅は22時。マドンナとチコが大騒ぎで出迎えてくれた。

モエロ湖に行く前に修理に出したPCの具合をAlain君に訊いた。返事が要領を得ない。疲れてイライラしていたので、「結論を先に云え」と怒鳴りつけてしまった。要は直っていないということだ。リカヴァリーCDを日本に置いてきてしまったからシャープのPCを売っていないここではリカヴァリーも出来そうにない。

満タンでルブンバシを出たが、燃料を別途20Lタンク4本、80Lもっていた。ルブンバシに到着したときには燃料警告ランプが点き始めていた。160Lを使い切ったわけだ。走行距離はわずか1035km。悪路で燃費が極めて悪かった。コンゴに南ア並の高速道路網ができるのはいつの日だろうか。

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