Le 8 juillet 2010, jeudi
快晴。
スポーツ省の参事官、機会があれば大臣と会うので背広を着込んだ。埃だらけ。ここの人たちは公式な場ではネクタイをしていないと五月蝿い。L’habit ne fait pas le moine(着ろものを着たって僧侶にはなれない、「見かけで判断するな」)ということなのだがねぇ。
10時にスポーツ省に行ったが参事官どまり。大臣はでてこなかった。柔道家フランクリン君が期待しすぎかな。
ソニー・ラブ・タンシ『Etat honteux 恥ずかしい国』を読み終えていた。それについて書く。ソニーのいつものことだが、アフリカの中の架空の国の物語である。民主的に大統領に選ばれた男が、いかに権力を集中していくかということに尽きると思われるが、ストーリーは、古い言葉で知らない人もいるだろうけれども「サイケデリック」である。今風にいえば、多分、「ラリっている」。発想が尋常ではない。言葉も理解を超えるところがある。フランス語は単語がかなり定義されている言葉だが完全に無視されている。たとえば、hernieである。単語としてはヘルニア(脱腸)であるが、使われる場所によって「国家」ともとれるし、「弱点」と読み替えないといけないだろう文脈のときもある。Hernieだけでなく、connerie(愚劣)、con(馬鹿)、conard(阿呆)等はまだいいとして、palilalie(ドモリ)さらにはmerde(糞)、普通の辞書にはないだろうroupette(きんたま)まで登場する。しかし辞書どおりの意味で使われていることは稀といっていい。
こんな「恥ずかしい国」は孫子の代まで伝えられないといって大臣がこぞって辞表を出してしまう。それでも大統領はめげない。
ソニーの生きた時代のアフリカは、そんなに昔でもないけれども、アメリカやソ連の傀儡と思われる独裁者たちが林立していた。私利私欲が剥き出しになっていた時代である。『Etat honteux』はそれを特殊な表現を使いながら写生したといってよい。暴く必要がないほど露わな欲望だった。今は大分カモフラージュされている。だから、今彼が生きていたら違う書き方、違う表現を使ったに違いない。逆説的に『Etat pudique恥いる国』というのを書いたのではないか。
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