16 août 2010

8月15日 le dimanche 15 août 2010 コンゴ豆 pois Congo

Le 15 août 2010, dimanche
快晴。

今日はカトリック・ミッションがルブンバシに来てから100周年。ルブンバシ大聖堂ではなくカタンガ州議会議事堂で盛大なミサが行われる。ヨーロッパで休暇中のモイーズ知事も帰国して参加する。
今日はカトリックにとっては、聖母マリア昇天の日でもあって、いずれにせよ重要な日である。
日本は休日としていないが、敗戦記念日だ。

ネット不通。3日目だ。
今日は日曜日だから、繋がることは先ず考えられない。
コンピュータ会社、電話会社はパーマネント・サーヴィスの筈だが、アルジェリアのそれは建前だけだった。ここでは建前もないかもしれない。

小説『セグSégou』はCCFが夏季休暇中で返却できない。そこでジャマイカの場面を読み直した(第3巻第3部『Autre Rive海の彼方』第1章から第10章、122ページ)。『Autre Rive』は『彼岸』でもよさそうだが言い過ぎの感がある。第3巻の中で好きな場面だ。ここだけを取り出して映画にしたら面白いだろう。Sir Anthony Shirleyはジャマイカの自然の美しさを愛(め)でているらしい、Sir Shirleyは16世紀後半の英国人大トラヴェラー。アフリカや中米だけでなく、ロシアやペルシャを旅行している。とくにジャマイカが気に入ったようではないのに作者Maryse Condéが取り上げたのは彼の旅行記をよんだのであろう。ちょっとpédantesque(衒学的)だ。
映画を作る資金はそんなにいらない。他の場面と違って大戦闘場面なんてないのだから。夢見る主人公Samuel、その可憐な妻Victoria、艶(なまめ)かしい女性Amy、正義の味方だが悲劇的最期を遂げるBogle。魅力的な登場人物に事欠かない。配役に工夫を凝らせば、Samuel役を演じた俳優は世界的スターになるだろう。日本ではAmyよりもVictoriaが持て囃されるにちがいない。Bogleにはベテラン俳優がいい。アフリカのラゴスやゴールド・コーストの回想は白黒で、ジャマイカの舞台は熱帯の強烈な光のカラー。
映画を作りたいなぁ。監督をしてみたかった。ルブンバシの劇団に話を持ち込んで芝居として上演できないだろうか。よし、やってみよう。
コンゴとジャマイカは無関係ではない。コンゴから多くの奴隷が送られている。また小説の中で歌われる農作業歌にはコンゴ豆pois Congoが出てくる(初出は340ページ)。
Pois Congo, je désire te voir コンゴ豆、お前に会いたいな
Pois Congo, je désire te planter コンゴ豆、お前を植えたいな
Pois Congo, je désire te désherber コンゴ豆、お前の草取りをしたいな
Pois Congo, je désire te sarcler コンゴ豆、お前の手入れをしたいな
Pois Congo, je désire te couper コンゴ豆、お前の刈取りをしたいな
Pois Congo, je désire te manger コンゴ豆、お前を食べたいな
コンゴ豆とはアンゴラ豆とも呼ばれ、歴史は古く3000年以上前から栽培されている豆らしい。奴隷貿易を通じてカリブやアメリカに渡った。アフリカだけでなく、インドなどアジアでも広く栽培されている。日本ではコンゴ豆といわず、違う名前が用いられていると思われる。英語はCongo pea。

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