10 août 2010

8月9日 le lundi 9 août 2010 『セグ』読了 «Ségou» tome 3

Le 9 août 2010, lundi
快晴。

長崎原爆投下の日。
核の傘、核の抑止力は証明ができない。これも核をもっている国々の勝手な論理だ。だが、実際に核を、原爆を使用したのは米国以外にはなく、被害国も日本しかない。

9時55分、停電。よく切れる。キプシは停電がないと云ったのは誰だ。

『セグ』第3巻を読み終えた。第1巻から数えて千数百ページだった。こんな長い本を読んだのは久しぶりである。Martin du Gardの『チボー家の人々』は高校時代と就職したてのころに読んだが日本語だった。フランス語で長編を読んだのは初めてといえる。『パピヨン』は途中で諦めた経緯がある。小説は長いからといってよい作品とは限らない。『セグ』からしかし多くのことを学んだ。先ずはMaryse Condéとこの本を紹介してくれたアラン君に感謝しよう。
『セグ』を流れる基本の人間心理に「haïr」(発音、アイール)がある。「amour(愛)」ではなく「haïr」である。「haïr」とは「憎む」、「嫌う」、「嫌悪する」。Amourの裏返しである。僕は、これはイスラムの概念であると思う。また、旧約聖書の概念でもある。
Maryse Condé は、ジハードの非情さ残忍さを語っていたが、セグの住民がイスラム化されてから、最後にはイスラムの見方を変えたのではないか。『セグ』はフランスによるセグ侵略で100年に亘る物語を閉じるのであるが、その侵略に対抗する、まるでモイーズのごとき、しかしイスラムの指導者を登場させる。「イスラムはひとつ、民族を超える」と言わせる。しかし、その根底は「未知の」フランスに対する憎しみである。守るべきセグに対する愛ではない。何故主人公に自殺行為のジハードを許したのか、極めて疑問である。作家自身にフランスに対するある種の「憎しみ」があるのではないかと思わせる。

『セグ』第三巻の副題La Terre en Miettesを「ひび割れた土」と訳したが、読んでみると「飛び散った土」とすべきかと思う。第一巻、第二巻の副題は「土の城壁」であった。この城壁に注目すれば、フランスの大砲で破壊された城壁のことだろうから、乾季で「ひび割れた割れた土」ではなく、「飛び散った土」である。

全体を通じてみると、第一巻がもっとも展開が面白く息をのませた。セグ(現在のマリ国の都市)の場面ではなく、海外(ブラジル、ラゴス、ガーナ、ジャマイカ、セネガル等)の場面に興味をそそられたことが多かった。
Maryse Condéの文章は体言止め、フレーズを移るときの主語の繰り返しなどテンポがよく、声を出して読んでもその生き生きとした文章が体感できた。ちりばめられたアフリカの言葉も違和感がなくフランス語と溶け合っていた。そろそろノーベル文学賞あたりを受賞しても恥ずかしくない。

Wiktionaryというネットの辞書をみつけた。英語もフランス語も充実している。日本語はなかった。日本の諸氏は何故こうした国際的な動きに参加しようとしないのだろう。アメリカ嫌いのフランス人でも競って単語の見出しを増やしているというのに。既に180万の見出しがある。もっともカタンガ州の言語スワヒリもなかったけれど。
http://www.wiktionary.org/

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