Le samedi 21 juin 2014
5時、快晴、18℃、40%。
リカシ市で行われるメルセデール会コンゴ伝道50周年記念式典参加のため早起き。
ネット昨夜から不通。
チーコちゃんが狂った。夜叉のような顔をして唸る。クリスチャンに飛びかかって引掻いた。彼がチーコを取押さえようとするから、それを止め、逃げろと怒鳴った。チーコは虫の居所が悪いのか、何か苦しんでいるのだ。言葉に出せないから、自分で苛立っているのだろう。
前立腺肥大の進行は遅い。2年前に日本で診断してもらったとき癌ではないといわれた。癌ならそれでもいい。手術する気はない。今日はリカシ市に行っていたが、クリスチャンがトイレが汚いというので行かなかった。13時間後、家で用を足した。長時間我慢したが辛くはなかった。家にいると何時でも用が足せる所為か頻尿である。尿が切れないで出せるようになっている。僕はルイボス茶のお陰だと思っている。
リカシ市はカタンガ州第3の鉱山都市である。7時20分前にキプシを出発して9時に到着した。メルセデール会コンゴ50周年のセレモニーは10時からと教えられた。
50年前にコンゴに伝道と奉仕活動の為にリカシ市の南西キレラバランダ村に来た。キレラバランダはコンゴ河の源流があるところといわれている。一度源流を見る為にリカシからキレラバランダ街道に入ったことがある。余りに悪路だったので諦めた。
50年前というのはカトリック教会の修道会としては遅いほうだ。イエズス会やフランシスコ会は既に100周年を数年前に迎えている。
当地の大司教がローマに行った際に、コンゴ独立間もなくカタンガ州は独立宣言をしてカタンガ戦争に突入していたころ、新たな修道会を招いたのだ。メルセデール会としては何もないところから出発した。険しい道だったと思う。現在リカシ、ルブンバシ、キプシ等に修道院があり、学校教育、病院医療活動も行っている。その間、地理的な関係だろうが隣国ザンビアのソルウェジ教区の司教さんが何かと面倒を見てくれた。ソルウェジから司教bishopさんがお祝いに駆けつけてくれた。
メルセデール会はラングドック(フランス)のピエール・ノラスク(ペドロ・ノラスコ)によって1235年アラゴンのハイメ1世の庇護を得てスペインで生まれた。そもそもはアラブ人に捕らえられ奴隷とされたキリスト教者を買い戻すためにできた半軍事的性格をもった教団だった。
カタンガ州に来たのはメルセデール修道女会である。この修道女会、日本語ではメルセス宣教修道女会といっているようだ。北スペインのベリスで1930年に創設されたMercedarias Misioneras de Bérrizである。創始者はMargarita María López de Maturana。比較的新しい修道会だ。 現在の会の総帥はローマにいらっしゃるが日本の方である。
ミサ 神父さんたちはキプシ、ルブンバシ、リカシ、サカニアから 前で少女がミサの間中賛美歌にあわせてダンス 日本のミサでは見られない光景 |
日本には光塩女子学院がある。場所は東京杉並区高円寺だが。高円寺だから光塩では勿論ない。聖書中の「あなたがたは世の光、地の塩である」に由来している。
記念式典というのはミサである。キサワヒリとフランス語で執り行われたが、カタンガの色彩が強いミサだった。司祭たちの前で二人の少女が祭壇の目で聖歌にあわせて踊る。聖歌隊はメルデール会の学校の生徒たちだ。メロディーが近代的というかアメリカのゴスペル調。信者たちも身体を揺り動かす。キスワヒリのミサではいつもこうだ。ザンビアから来たビショップは挨拶を英語とキベンバ(ザンビアおよび一部カタンガ州の言葉)で挨拶しただけだった。
ミサ後、集会所でランチ。思ったほど悪い内容の食事ではなかった。
キプシからセレモニーに参加した一行 僕の向かって左隣がシスター・ルーシーさん 右前で中腰がクリスチャン君 |
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