Le vendredi 27
décembre 2013
6時、晴れ。ケープタウン到着。
ケープ・タウンの手前300キロあたりから、それまでのサバンナの荒地からブドウ畑が現れ始めた。右手も左手も高い山である。荒地といったが単に耕作されていない土地、灌漑されていない土地といった方がいいかもしれない。見渡す限りのブドウ園である。
14時、ケープ・タウンに到着した。長距離バスの駅が鉄道の駅と隣接しているのはヨハネスバーグと同じだったが、駅の周辺の雰囲気は全く違った。ヨハネスバーグの方は駅周辺が危険信号を発していた。ケープ・タウンは余程安全そうである。
ケープタウンに到着したIntercape社の スリープ・ライナー号 Scania社製マルコポーロ 2階建て車でリクライニング・シートも快適 道がいいので揺れがなく鉄道よりも速い |
ローカル線、郊外電車でムイゼンバーグMuizenbergに向かった。ケープ・タウン市の中だが市の南南東の海岸地帯である。波が荒い海岸でサーファーたちが1年中エンジョイしている。この街までケープタウンから21も駅があった。駅と駅の間隔が狭く隣の駅が見える距離にある。電車はグラフィティを消していないので、外も内側も汚い。料金は12ランド(120円)。ケープタウン鉄道駅は何本もの鉄道が入ってきているターミナル駅だ。滞在中何回もこの駅を利用することになった。ケープタウンの中心街のホテルが年末で全て満員だったためムイゼンバーグに来ることになったのである。
宿は駅から歩いて100メートルもないところ、警察署の隣の民家だった。Amberley Travellers Lodge。オーナーさんは白人ロバートさん、マドンナよりも大きいだろう黒いワンちゃんが家の中にいた。ここもインタネット環境が抜群だった。
夜は宿舎近くのスーパーで調理した品々を買ってきて部屋で食べた。その買い物の時間が18時を過ぎていたのでアルコール類が買えなかった。南アでは18時を過ぎると酒屋が閉まる。スーパーのアルコール・コーナーも閉鎖される。
これは英国圏(英語圏)に共通なデマゴジーである。18時で酒屋が閉まったからといってアル中が減るわけがない。英国では21世紀に入っても法律によってパブが23時までしか営業できなかった。80年代はもっと閉店時間が早かった気がする。しかし抜け穴があって、ホテルのバーや会員制のクラブでは24時を過ぎても飲めたという記憶がある。南アも馬鹿な伝統を英国から背負い込んだものである。
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